旅路
初日・闇の森










屋敷を出て、どれくらいの時間が経っただろう。

ゆうに6時間以上は歩き続けていると思う。

旅人は重い荷物を背負いながら、目的地へ黙々と歩き続けていた。







































…誰もいない静かな場所…







































そこは、聖書に出てくるような神秘的な雰囲気の場所だろうか…。

それとも、幽霊屋敷のような、暗く、気味の悪い場所だろうか…。

普通ならば、出来るだけ前者に希望を持つだろう。

人間というのは、自分にとって嫌と感じる事をあまり考えない性質を持つ。

冗談、場の雰囲気、その他特別な事情以外では考えにくいと言っていいだろう。

それは、旅人にも当てはまる事である。

勿論の事、人間なのであるから。






「…やっぱり、今日中に目的地には着きそうにもないか…。」






辺りを見回す。

旅人は普通の希望を持っていた。

荷をまとめ、歩き出す、その時までは…。

現実は、思い通りにはいかない。

森に入った時、それを実感した。

深い深い森の中…怖い話等をする時に出てくるだろうワンフレーズ。

そのフレーズを、今目の当たりにしている。

目を細くして先を見つめても、あるのは立派に育っている樹木達。

その枝先や上空で何かを探し、また羽を休める生物達の鳴き声。

先までは樹木の立派さ、生物の感動に触れることはできた。

今は…恐怖と不安…その二つしかわからない。

いや、わからないのではない。それしか感じられないのである。

明かりは全てを映し出す。

その正体の隅から隅まで。

しかし、その灯火が消えてしまったら…

どんなモノかもわからない。

得体の知れないモノ。

大勢のモノの住処に、一人の少年がいるのである。







































1日目







































初日からこうなるとは思ってもみなかった。

旅人は仕方なく、森の中で一夜を明かす決心をした。

「…それにしても、噂は本当なんだなぁ。」

噂…その言葉は正体不明の者から始まり、延々と人々に伝わっていく…。

どこの誰が言い始めたのか…何を感じ、そう言い出したのか。

事の詳細が不明であることから、噂は信頼性に乏しい。

伝われば伝わるほど、信頼が加速して損なわれる。

旅人のいる森…ここにもそう言った噂があった。







































北の森は闇の森

通る時は明るい時間

必ず馬車で通りなさい

さもなくば

森から抜けることは

皆無に等しいだろう



北の森は闇の森

日の光が届かない魔の森

決して歩いてはいけない

これ従わなくば

そなたの身は

森の民に葬られるだろう








































森に入る時、近くにいた人が語った話。

これは百年以上前からこの地に伝わる話だという。

いわく付きの森、そんな物は世界中色んなところに存在する。

ここもその一つである。






「でも…森の民ってなんだろうか…」






昼間、そして現在に関わらず、森の民と呼ばれる者に会っていない。

見たのは小鳥達だけ。






「…小鳥が、森の民?」






そんな事を考えていると、後方から物音が聞こえてきた。






「鳥の鳴き声…には、聞こえなかったなぁ…」






噂の森の民だろうか…緊張と不安が体を震わせる。

ここにいてもよくわからない。

そう思い、旅人は音のした方に歩を進めた。






一歩、また一歩、音の方に近づいていく。

震えが止まらない。

それどころか、震えが早くなった様にも感じる。

更に先に進んでゆく。

すると遠くがボンヤリと明るいのが見えた。






(この時間に明かり?僕以外にもここに来ている人がいたのか?)






明かりに吸い込まれる様に、旅人は光の方向へゆっくりと歩き出した。

進むにつれて、明るさが増してくる。

そして、人と思われる声も聞こえてきた。






やっぱり誰かいたんだな…

盗賊や悪い人達だったら危ないな…物陰に隠れながら確認しよう…







父の話を色々耳にしている旅人。

「道中危険が沢山ある、盗賊がいい例だ」と。

しかし、盗賊でない可能性もある。

もしかしたら、迷い込んで入ってしまった人かもわからない。

確認する必要はあった。

ここは闇の森、一人でいるより複数でいる方が安全だからである。

光が昼のように眩しかった。

話し声が少し聞き取れるようになったあたりで、一旦歩を止める。






(この辺りで様子をみよう。)






旅人は近くの樹に身を隠す事にした。






(…何を話しているんだろう…)






全神経を、耳に集中させる。






「……つかれ……」






(…???まだ聞き取りづらかったかなぁ…。)






「今日もありがとう、皆の衆。」






(…女性の、声?)






聞こえてきたのは、若い女性の声だった。

澄みきった、とても綺麗な声。

「みんな」という所から察するに、一人ではなさそうだ。






(何人いるんだ?)






そぉ〜っと光の方を覗く。

光の中には一人の女性がいるだけで、他に人らしき者は見当たらない。


































………え?


































さっき、確かに「みんな」って言ったはず…






でも、あそこには一人しか…


































おかしな好奇心が旅人を支配する。

状況が把握できない為、隠れて移動しながら他の人物を探す事にした。

その時、樹の上で休んでいたのだろう、鳥達が一斉に羽ばたいたのである。






(!?何もこんな時に…!?)






「鳥達が……あ!?」






静かな森の中、今の音を気づかない者はいないだろう。






「…………。」






光のせいもあってか、旅人の姿がはっきりと映し出されていた。






「…ここに人がいるなんて、久しぶりですね。」






「…あ、あの…」






「なんじゃ?何かおったのか?」






旅人以外に声が二つある。

やはりここにはこの人以外他にいたのである。

しかし、声の主はとても奇妙な者だった。






「ほほぅ、珍しいのぉ。」






言葉を発する生物。

顔が犬、体が猫(だが、数段大きい)、手足が虎のような生物だった。






「なっ!!?」

「命殿、お主が出てきては御人が驚くではないか。」

「カッカッカ!!たまにはワシにも楽しみがあってもよかろうに。」

「…へ、変な生き物が喋った〜〜〜!!」






あまりの出来事に思わず叫んでしまった。

顔、体、手足、全てのパーツが違う者。

そんな者は伝説と言われる「鵺」しか知らない。

しかし、この生物は人間の言葉を話せる。

叫ぶのも当然である。見た事も聞いた事もないのだから。






「…な…ななな…。」






突然の事に言葉が出ない。

むしろ、出しても言葉になっていないと言った方が正しいだろう。






(何なんだ、こいつ!?)






早くこの場から去りたい。

その気持ちとは裏腹に、体が言う事を聞かない。

恐怖で腰がひけていた。






「そう怖がるでない。危害を加える気はない。」

「怖がるなと言う方が無理ではないか?ワシを見ておるんだから。」

当たり前だ、普通は怖がるだろう!

でも、何故この人は平気なんだ?こんな化け物を目の前にして。







恐怖しながらも、そんな事を考えてしまう。






「常人から言えば、貴様は変だ、と言うだろう。」

「!!?」

「心を読まれている、そう言いたいのだろう?」






奇妙な生物が平気な彼女は、旅人の思う事を正確に、一文字も誤らずに口にした。






「私はこの森で生まれた。」






彼女は淡々と語り始めた。

旅人の、恐怖する姿を無視して。


































…生まれてこの方、この森以外の場所には行った事がない。






…一人だったからな…。






一人は辛い。






人はこういう事を、「孤独」というのだろうな。






でも、それも徐々になくなってきた。






命殿もおるし、他の者達もおるからな。






寂しくはなかった。






でも、言葉が通じなかった…命殿以外…。






何を訴えているのかがまるでわからなかった。






そんな時、命殿がこう言ったのだ。






「言葉が通じずとも、心は通じ合えるのではないか?」






御人と同じで、私も初めは驚いた。






しかし、それからだった。






心が分かるようになったのは。



































「…………。」






不思議と聞き入ってしまう。

人とは面白い生き物だ。

他人の過去に触れ、自分の過去に触れる。

そうする事で分かり合い、離れ合う。

旅人の恐怖心が段々と和らいでいった。

体の震えも、今はない。

言う事を聞かなかった体も、ひけていた腰も自由に動く。

彼女は更に語った。

この森の事、「闇の森」と称された理由、その他にも…。






二人の距離が近くなっていくのがわかる。

いや、二人だけでない。

他の者との距離も…無意識に張られた境界線が、消えてゆく…。






「…そうか、お主はその為に一人旅を…。」

「はい。まだ始めたばかりで、不安がいっぱいですけどね。」

「でも、不安よりも、期待の方が大きいんです。」

「これが、旅っていうものなんだなって思います。」

「ふむ。」






彼等は遅くまで語り合った。

お互いの距離を、信頼を深めながら。

笑い声や鳴き声が、静かな森を賑やかな街中へと変えてゆく。


































朝日が眩しく森を照らし出す。

闇の森が、光の森に変わった瞬間である。






「日の光…何年ぶりかのぉ…。」

「…これで、闇の森はなくなりましたね。」

「そのようだな。」


































光の無い世界。






邪の波動に満ちた空気。






それは人だけでなく、他の者の精神までも喰らい尽くす。






闇の国の長きに渡る支配は、今日幕を閉じたのだ。



































「ここを真っ直ぐ行けば、夕方には抜けられるじゃろう。」

「ありがとうございます。」

「色々大変と思うが、元気でな。」

「目的、果たせる事を祈っている。」

「はい、それでは。」


































別れの挨拶は短かった。






短くとも、思いを伝えるには充分だ。






これは別れではない、死別ではない。






また来る出会いの為の、ほんの小休止なのだと、旅人は感じた。

















































…伝説…






















…噂…







































それらは、得体の知れぬ者の、戯言だったと。



























それらは、人間の負の感情が生み出した、恐怖の考えなのだと。



























それらは、信頼性に欠けている、欠陥品なのだと。



























しかし、一概にそれだけとは言えないのも、また人間の発言なのだと。



























初日にして、とても怖く、とても面白い経験をした。



























旅人の旅は、まだ始まったばかりである。














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