ふ た り
第二部  第二章








AM4時30分。





外はまだ太陽の光がうっすらと差し込んでいる時間。





部屋のカーテンが、その薄暗さを物語っているかのように透けている。




































…あの日以来、寝付けない…


































そして、あの夢も…見なくなっている…


































何かが起きているはずなんだ…何かが…


































……でも……



































布団に潜りながら、男はあの日の悪夢を思い出していた。

背中を伝う嫌な水気。

自分の知らぬ間に起きた出来事。

全てが不自然で、不可解なものだった。

ベッドは体温で生温かい感触だ。

眠い眼を擦りながら、いつもより早く起床する。

だるい身体で布団を引き離す。

頭から離れない思いが、彼の身体を重くしていた。

雲ってもいるが、明かりもある中途半端な空。

彼の気分は余計に悪くなった。

ドアノブに手をかけ、ゆっくりと押し開ける。

その先は静かな空間だった。

聞こえてくる鳥のさえずりが、家中に響き渡っている。

眠っている彼女を起こさない様に1階への階段を下る。

彼の重みで、階段がミシミシと音を立てる。

見慣れた風景。

いつもの席で朝食を取り、いつもの場所でテレビを見ながらくつろぐ。

いつもの風景がそこにはあった。

だが…今はそれが、不気味でしょうがない。

ごく普通の、いつもの出来事が、奇妙かつ気味悪いのである。





……………





気分の悪さもあったか、居間のソファーに深く腰を落とした。

その後ろ姿は、老人が腰をすえた様にも見えた。

ソファーの前には楕円形のテーブル。その上にはテレビのリモコン。

人差し指が、部屋の隅にあるテレビの電源をONにした。

時間が時間なだけあって、やっている番組はなく、

昨日の出来事が書かれた文章が、ゆるやかな曲と共に延々と画面に流れていた。

憂鬱な面持ちで眺める。

男の目は、文字ではなく、明後日の方向を見ていた。





「…ニュースも、いつもと変わりがない…。」





重い口から、言葉がこぼれた。

何もかもが変わらない日常。

しかし、明らかに変わっている。

歯車の微妙な噛み違いを、彼は見逃せなかった。


































「…あ、おはよ〜♪」









「ん?…あぁ、もうそんな時間か。」



































AM7時15分。

女が夢の世界から帰って来る。

とても明るく、優しい雰囲気が嫌な空気を換気する。





「今日は早いね〜。」

「珍しく早くに目が覚めてな。」

「休日はホントに遅くまで寝てるくせにね〜。」

「冷やかすなよ、たまにはいいだろう。」

「さては…昨日何かありましたね?」

「別に、何もないけど。」

「はは〜ん、あ〜やし〜な〜♪」






滅多にない男の行動に、笑顔で冷やかしを入れる。

敵意のない言葉。純粋な笑顔。

それが彼女の良い所であり、悪い所でもある。





「そんな事より、飯にしよう。早く起きたせいか、腹が減ってしょうがない。」

「おっけ〜!今日は珍しく早かったから、朝から腕を振るっちゃおう!!」






上々な気分でキッチンへと向かう。

朝から元気がいい奴だ、と思った。

つけっ放しだったテレビに目をやる。

ブラウン管の中も元気が満ち溢れていた。

アナウンサーの表情が柔らかい。

口調もいつもより幾分か弾んでいる様にも見える。

動物園の映像が映し出される。

色々な動物達が、決められたエリア内を所狭しと動き回る。

そして、人気の動物がカメラ目線で登場した。

とても愛らしく、人気を誇るのも当然であるその姿に、アナウンサーも大はしゃぎである。

何気なくテレビを眺める。

リモコンに手を伸ばし、チャンネルをコロコロ変える。

どこも同じような内容の番組ばかりだ。

朝刊の記事の説明にしても、他の番組と同じ事を取り上げていた。

胃の中の消化物が無くなり、乏しい音を立てる。

早く何か入れなければとはやしたてる。


































「できたよ〜♪」




































掛け声と共に女が料理を抱えながらテーブルに近づいてくる。

何とも鮮やかに盛り付けられた消化物が大量に積まれていた。

手に持っている食事を置き、調理場に戻る。

すると今度は違う物が彼女の手にバランス良く乗せてあった。





「…腕を振るいすぎじゃないか?」





朝から豪勢かつ大量のメニューに、男は唖然とした。

いくら空腹だからとはいえ、この量では消化不良物が大量に残りそうである。





「まぁまぁ気にしない♪さ、食べよ!」





無邪気な笑顔で返事をし、食料を口に運ぶ女。

…まぁ何とかなるか、と男も苦笑しながら目の前の豪華料理に手をつけた。




































「…ふぅ、どうにか食いきれたみたいだな。」











「あ〜美味しかった、ご馳走様でした。」





































両手を顔の前に合わせ、小さくお辞儀をする。

消化不良を起こしそうな量が、今では色の付いた皿だけである。

赤色、茶色、黄色。

その他多色が、主旨の無いデザインをあちらこちらに描いていた。





「いくら珍しい事があっても、もうこれは勘弁だ…。」

「あはは…そうだね。」






苦しそうな表情をしながら、料理の注意点を告げる。

叱られた女は、苦笑しながら男の言葉に耳を傾けた。

重くなった身体に重力という目に見えぬ物体が容赦なくのしかかる。

それを振り切る様に、男は精一杯足腰に力を入れ、スッと立ち上がった。

絵画を汚しながら、1枚1枚上へ上へと重ねてゆく。

バランスと質量を考え、区切りのいい所で両手を添え、凹みのある長方形型のスペースに静かに置きに行く。

女もその行動を真似て、次から次へと絵を崩していく。

テーブルから色鮮やかな、しかしそうでもない様なデザインが全て消え去った。

女は運んだ荷物を微温湯に浸しながら、スポンジの泡加減を調節した。

男は定位置に戻り、今度は窓を見つめていた。





「…なぁ、どこか出かけないか?」

「…へ!?」






テレビスピーカーから流れる音。蛇口から勢い良く出ている水音。

二人の空間から聞こえる、騒音とも言えるBGMに紛れて、男は急に言葉を発した。

突然の発声と内容に、つい返す声が裏返ってしまった。





「ど、どこかって、どこに?」

「う〜ん………動物園?」






幼稚的発想に、思わず笑ってしまった。

無理も無い。彼等はもういい歳の大人なのだ。

その大人が二人並んで動物園。

別にその場所が好きならば否定はしない。

好きなものは好きなのであるから、それはそれで構わない。

しかし、彼女の考えでは笑えてしまうのである。

小さな子供が、親と一緒に行くのならわかる。

大人二人が行く所では、さすがに無いと。

BGMよりも大きな笑い声が室内に木霊する。





「な、なんだよ。そんなに笑うことじゃないだろう。」

「笑っちゃうわよ、この歳で動物園って思うと…。」






大爆笑しながら言葉にならない返事を返す。

手に持っていた清掃用具は、凹みの中に落ちていた。

洗い物をしてる場合ではないようだ。





「…う〜〜ん……。」





右手で頭を掻きながら、真剣に考える。

あそこまで笑われては、違う所にしなければならない。

そう男は感じた。





「…ふふ、いいわよ。動物園で。」

「…お前、たった今大爆笑して否定しただろうが…。」

「あら、否定はしてないわよ。ただ可笑しかっただけ。」






楽しそうに微笑む。 笑ったのは何だったんだよ、と彼女に対し多少の怒りを覚えたが、それもどうでもよくなった。

彼女の楽しむ姿を見ていたら、そんな気分も次の瞬間には無くなっていた。





「決まりだな。じゃあ早速着替えてくるか。」

「え?もう?」






あまりの行動の早さに戸惑いがあったのか、女が聞き返す。





「今から行ったら、ちょうど動物園が開く頃だろう。」

「それはそうだけど、そんな早くから行くの?」

「…イヤか?」

「ううん、別にイヤじゃないけど。」






じゃあ早く洗い物を済ませてくれ、と声をかけると、男は2階に行く階段へ足をのばした。




































「…準備できたか〜?」




































玄関前。

準備万端で外靴を履き、2階にいる女に聞こえる声量で話しかける。





「うん、今行く〜!」





予想通りの答えが来る。

それと同時に部屋の扉が開き、すぐに閉じる音を立てる。

早いリズムで階段が軋む。





「お待たせ♪」





軽い息切れをしながら、佇んでいる男に微笑む。

寒さ−帰りが遅くなるかも知れないという事も含めて−を予想してか、少し厚着になっている。

強くなく香りの良い香水の匂いが、男の鼻を、その場所を刺激した。

木製の下駄箱から靴を取り出す。





「忘れ物とかないな?」

「うん!」






最終チェックを終え、扉に手をのばす。

ひんやりした風が開け口から入ってくる。

扉に鍵を閉め、二人は住処を後にした。








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